ダイエットにホントに効くのは我慢よりも○○さ

ダイエットに必要なのは我慢よりも丁寧さ ダイエット

だぶついたお腹や二の腕を見てため息。ダイエットしなきゃな、としみじみ思うけど、「よし、明日から・・・」なんて先延ばしにしていませんか?

人間の行動には、直近の痛みを避ける基本原則があるそうです。
ダイエットと言えばまず思い浮かぶのが食事制限。あるいは運動、ですよね。
どちらも我慢が必要ですが、我慢は苦痛ですから「後にしよう」ってなってしまうのもうなずけますね。

A wonderful autumn day
A wonderful autumn day / Andreas.

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我慢と忍耐で、本当にダイエットできる?

それじゃいかん、我慢を先延ばしにしたら、何事も成し遂げられない!

まぁ、その通りです。

我慢を避けるのはだらしなさ。
その証拠がお腹や太もも周りに分厚くだぶついているのですから、上のように言われたら返す言葉もありません。

ですが、我慢するばかりが方法ではありません、、、よね?

我慢をすればそれだけストレスがかかりますから、その反動でまた食べてしまうリスクもあります。
そもそも、太っている原因は何だろうかと考えると、それは意外に根深いものだったりすることもある。そういうことだと、我慢で一旦は乗り切れても、期間限定で再びぶり返すことは、十分あり得ます。

じゃあどうするの?

まさにそこです。

私たちは、こと問題があると、それに我慢&忍耐で対処することを、小さい頃から教えられて来たように思います。
確かに我慢&忍耐で対処できる問題は少なくありませんが、それ以外の問題解決の方法もあり得るでしょう。

我慢は心を抑圧します。
食べたい、と思う自然な心の動きを圧し殺し、身を固く縮めて乗り切る方法です。逆に私は以下で、心を活き活きさせることで乗り切る方法をご案内してみたいと思います。

ダイエットにはやっぱり食事制限が効果あり

ん? 何?? こころ?
そんな話を期待してるわけじゃない、
ダイエットの方法はどうした??

そうでした、はい、話をダイエットに戻しますね。

痩せるためには、どうしても今よりも食事の量を減らすことが必要です。
運動で痩せる方法もありますが、目に見えて体重が減るくらいのカロリーを消費するのはかなりたいへんです。体重60kgの人が1時間ウォーキングしても320kcalくらいだと言われています。脂肪100gがざっくり700kcalくらいらしいので、2時間ウォーキングしても届きません。しかも人間の身体は複雑で、そう計算通りにはいかない事も、モチベーションを曇らせます。

逆に摂取カロリーを減らすのは効果が大きい。
食事を減らすと、自然に痩せます。

私自身、意地になってウォーキングを二時間強続けていた時期もあったのですが、一向に痩せませんでした。私はかなりのウォーキング好き、散歩マニアだと思いますが、この時期はさすがに徒労感に見舞われた記憶があります。
逆に、事実上の食事制限を取り入れると体重がみるみる減って、10kg減。摂取カロリーの制限はかなり威力あるなぁ、、、となったわけです。

ややぺこ感覚を受け入れる

上で、食事制限に「事実上の」と、つけたのには理由があります。

食事制限には「食べたいものを我慢する」というイメージがどうしても伴いますが、私はそういう感覚をあまり覚えることなく、食べる量を減らすことができたのです。制限したという感覚はすごく薄かった。

満腹状態は異常、腹ぺこの方が普通

このブログでも時折書いて来た「ややペコ」感覚とは、いくらかお腹が減っている状態、いわゆる小腹が減ったという感じでしょうか、そんな腹具合を指しているのですが、この感覚を苦痛と捉えずにむしろ普通のこととして捉えると、意外に効果があったのです。

少し説明が必要ですよね。
そもそも、人間が今の日本のように常に満腹な時代なんて、これまでの歴史上無かったんじゃないの? と思うんです。たいていの時代、たいていの地域で、多分人々は飢えと共存して生きて来たはずです。そこでは小腹が減っているなんて当たり前で、それをすぐに満たせることは稀なことか、一部の特権的な人たちに限られたことではなかったかと思うわけです。

そんな時代の人々は可哀想でしょうか? お腹いっぱい食べられないなんて、気の毒? そうかも知れません。ただ、彼らはそのややペコ感からむしろ食物を得る活力も汲み上げていたと思う。

最近の研究で、腹ぺこと満腹と八分目、どの状態の時に頭が一番冴えるか、という実験があったそうです。答えは腹ぺこ。飢餓状態は別として、人はある程度お腹が減っている時にこそ、活力を増すようです。

我慢には終わりがある

こんな考え方が浮かんだことで私は「ややペコ」の感覚を、自然なものとして受け入れられるようになりました。
受け入れると、我慢という感覚は薄くなります。

我慢の場合、無限に我慢することはできませんから、その終わりが必ず来る。その終端では「ようやく食べられるぞ!」あるいは「我慢しきれなかった・・・」のいずれかになりますが、どちらにしろお腹を満たし、空腹感を排除することになります。

ですが受け入れる場合は、その空腹感とつきあい続け、共に過ごす、ということになります。終わりは基本的に来ない。それが普通の状態になるのです。

置き換えは胃が小さくならない

ちょっとややこしい話になってるかも知れないので、一反普通の話題にしましょう。
同じように我慢をしない方法として、「置き換えダイエット」がありますね。
高カロリーなものを食べる変わりに低カロリーなものを摂取する。お腹はいっぱいになるので、空腹感はかなり軽減されます。

ただ、置き換えを続けていても胃は小さくなりません。胃が大きいままだと、すぐに空腹感が来るような気がします。
それと、置き換えは実は、常に我慢につきまとわれています。とりあえず空腹感はしのげるとは言え、本当に食べたいものを「我慢」していることに変わりはありません。意識は常に、ダイエット以前の食生活・食の好みを志向し続ける。これはこれで、けっこうキツいことかな、って思います。

空腹をゆるす

受け入れる? 結局、我慢と似たような精神論か、、、

と、がっかりなさった方もいらっしゃるかも知れません。
心のもちよう、考え方の話なので、確かに精神的な問題です。

感覚の意識化

ただ、いわゆる精神論とはちょっと違うかなと思うのは、食の感性が変わってくることです。
ややペコを受け入れると、その空腹感は常に自分の中にあって、意識をつついてきます。お腹が満たされている時には(食べ過ぎてお腹が苦しいときは別として)意識しないような身体の感覚と、いつも共にあることになる。
お腹が減った→食べて満たす というルーチンを無意識にしていた時と違って、自分の身体の感覚に敏感になります。さっき書いたような空腹の危機感が感覚を研ぎすます、ということもあるかも。

食事の変化と広がり

この、感覚の先鋭化・・・あえてかっこいい言葉をつかってみましたが・・・、は、いざ食事の時になると、別なかたちで機能します。

それは、食べ物を深く味わえる、ということ。

この感覚を味わうと、無意識に食べていた頃はいかに自分が食べ物をがむしゃらにかきこんでいたのだろう、と思い知らされます。
自然によく噛んで食べるようになるので、物の味がしっかりわかるようになります。そして単なる味覚を超えて、食べ物への感謝、作ってくれた人への感謝など、いろいろな思いが、ひと噛みごとにわいてくる。そんなしみじみとした心の広がりを経験します。

こういう食べ方に慣れてくると、自然に味の濃すぎるもの、脂の濃すぎるものへの嗜好が弱くなっていきます。そそくさと流し込んでいたころはよかったけれど、じっくり味わうとなるとくどすぎる。薄味の、噛みごたえもあるものへと、好みが変わってきます。

こういう変化は、根性論でいうところの、心頭を滅却すれば火もまた涼し、ではありません。心も頭も滅却しませんし、逆に意識化する方向です。感覚は変わりますが、火が涼しくなる如く腹ぺこが満腹になるわけではない。腹ぺこを腹ぺこのまま「ゆるす」感じです。

あれもこれもではなく、ひとつに向き合う

長くなりました。まとめますね。

キーワードは丁寧さ

ダイエットには食事制限が有効ですが、我慢ではないアプローチもある。
鍵は「丁寧さ」。

この記事では初出ですが、煎じ詰めるとこういうことかと思います。

ややペコ感覚にしても、食事の時の味覚にしても、それらと向き合い、意識して丁寧に味わうという姿勢をとると、自ずと節度が生まれてきます。

何を満たすのか?

慌ただしく食べ、空腹を頭ごなしに否定しているうちは、自然な食欲を意志によって強引にせき止める必要があります(=我慢)。でも空腹を赦し、意識的に食べ、自分の感覚と丁寧につきあっていくと、満腹とは別の満足感が得られる。

そもそも食事って、カロリーや栄養だけを満たしているわけじゃないですよね。

自分の食欲をよくよく見つめててみると、お腹というより心を満たしたいと思っている面もけっこう大きいと感じるのですが、いかがでしょうか?
食べ物があり余る現代日本では特に、社会的なストレスや孤独といった不満が空腹に姿を変え、食欲に化けていることも、けっこう多いと思うんです。

もしこんな場合に当てはまりそうな方は、ぜひこのアプローチ、試してみてください。
心が満たされ、自然に食欲が抑えられる、、、ことを願っています。

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早起きウォーキングダイエット・今朝の記録

起床は4:47
朝一体重は72.5kg
ここまでの歩数が8966歩

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