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引き算は心が冷える
子どもが小学校で算数を習い始めた頃、突然こんなことを言いました。
「足し算は好きだけど、引き算はあんまり好きじゃない・・・」
え、算数の初歩でいきなりつまづいた?
心配して私は尋ねました。
「どうして?」
「なんだか寂しい気持ちになる。」
「・・・」
Once a clear view. / Bo Valentin
一瞬、何を言い出したのかと思いましたが、私にも思い当たる記憶がありました。
言葉にしたことはありませんでしたが、何となく引き算は嫌いで、進んで近づきたいとは思わなかったものです。
そしてこの言葉を噛み締めてみると、子どもの頃感じた自分の違和感としっくり。
なるほどよく言い表されていると感じました。
「引き算は寂しい」
そうです。その通り。
引き算のドリルを続けると、心が冷えきってしまいます。
逆に足し算は何か温かな気持ちにさせてくれます。たくさんやっても辛くない。
・・・私だけでしょうか?
マイナスの記号は負の記号。ポジティブではなくネガティブ、否定の記号とされています。
数学的な記号ですから感覚的な脈絡でどうこう言うべきものではないとわかっていますが、もっとも基礎的な加減の計算において人の感性とも繋がってるんだなと、あらためて感じます。
みなさんはいかがですか?
痩せたい、は叶いにくい?
ダイエットは、とりあえず体脂肪を「減らす」ことを目指します。
この「減らす」がなかなかくせ者。
というより減らすことを「目指す」ことがやっかいと言ったほうがいいでしょうか。
マイナスは寂しい。その寂しいものを目標にするんですから、精神的にキツい。基本的に。
人間、否定形の願望は叶えにくいそうです。
大学に合格したかったら、「合格したい」と願った方がよくて、「落ちないように」と願うとややこしくなる。後半の「ないように」と否定しているほうは叶わなくて、前半の「落ち」る方だけ叶ってしまう、と唱える人もあります。
ではダイエットの時、「痩せますように」と願うのはどうでしょう?
言葉としての否定は入っていませんが、なんとなくマイナスな臭いがしませんか?
暗に今の体型を否定しているからかも知れない・・・
「痩せますように」は、今の体型から体脂肪を引けば理想の体型になる、という発想なんですが、これは
現状 − 体脂肪 = 理想体型
という感じで、やっぱり引き算発想に基づいてるような気がする。
今の体型を鏡に映し、「ここがもっと痩せたらなぁ・・・」と二の腕をつまむのが「痩せたい」発想。
ベースになっているのは今の体型。その否定が次に来て、ようやく理想体型にたどり着く。
逆に、理想の体型のモデルさんなどの写真を壁にはって、それを直接的に目指すのがいいのかも知れません。
ベースになっているのは理想体型。たどり着くのも理想体型。引き算無し。否定無し。
足し算発想のダイエット
願い方はともかく、具体的な方法はどうしたらいいでしょう?
筋肉を増やす、というのは効き目がありそうです。完全に足し算発想と言えます。トレーニングをして筋肉の量を増やし、基礎代謝を上げて行く。そのポジティブなプロセスの裏側で、体脂肪が知らず知らずに減って行く。
意識が向いているのは、筋肉をプラスすること。無意識に進んでいくのが体脂肪の減少。完璧な構図です♪
プラス発想のダイエットは、体組織の話だけじゃありません。
例えばこのブログのサブテーマでもある習慣。
ウォーキングなどの生活習慣を「プラス」することは、ダイエットに繋がります。ことさらにダイエットのために歩く、というのではなくて、歩くことを楽しんでいるうちに、自然に痩せて行く。
もし脂肪を直接つかんで身体から引きはがせるなら、脂肪そのものをポジティブに捉えられるかも知れません。でもそれは無茶と言うもの。脂肪を減らすためには、何か全く別の目標を志向し、その背後で脂肪が減少するという構図で行なうのがよいと思います。
何か楽しいことを、今の生活にプラスしましょう。背後で自然に脂肪が減ってくれるようなことを暮らしの一部にとりいれれば、達人のダイエット方法に近づけます。
「ダイエットに成功した人は、ダイエットしていない。」
足し算ダイエットまとめ
足し算は温かく、引き算は寂しい。
もしあなたがそんな感性の持ち主だったら、減らすダイエットより、増やすダイエットを考えてみてください。きっと、とりくんでいる時の心の持ちようが変わると思います。
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早起きウォーキングダイエット・今朝の記録
起床は4:19。
朝一体重は71.8kg。
ここまでの歩数が11952歩。
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