今年の5月から8月末にかけて、私は10kgの減量に成功しました。おかげさまで現在もリバウンド無く体重は安定、むしろ、横ばいよりはいくらか減少気味の傾向が続いています。
早起きウォーキングはずっと続けていて、生活の一部になっています。
ウォーキングと言ってもだらだら歩いている時も多く、いわゆるウォーキングスタイルをいつもとっているわけではありません。
実際には散歩とウォーキングは半々、いや6:4くらいといったところでしょうか。
ですが、これがけっこう効果的♪
だらだら歩いて10kg減ですから、けっこういいと思いません?
今日はそのだらだらウォーキングの何がどう効果的なのかを書いてみます。
ご興味のある方はおつきあいください。
だらだらだけど、意外に核心を突かれる人もいるかも?
スポンサーリンク
太りすぎた人が抱える脂肪以外のもの
ダイエットしよう、と思う理由は人それぞれ。
若い人なら彼氏・彼女に好かれたい、ということもあるでしょうし、私のようなおじさんなら中性脂肪を気にして、健康のため家族のため、ということもあるでしょう。
理由はいろいろでも、ダイエットしようと思う人の認識は共通しています。
「自分は太っている」
そう感じているから、痩せなきゃ、と思うわけですね。
自分は太りすぎてる、と思うケースには二種類ある
太っていると思ってる人たちは、ざっくり二つに分けられます。
- 本当に脂肪がついてる人
- そんなについてない人
どうでしょう?
あきらかにBMIが高そうな人はともかく、それほど太っているようには見えないし、数値も肥満とは見なせないのにも関わらず、ダイエットしなきゃと思っている人、いませんか? 数は少ないでしょうけど。
そういう人って、どうしてダイエットしなきゃ、と思うんでしょうね。
実際太ってる身からしたら、ちょっとムカっときたりすることもある。
「え〜、わたし太ってるからぁ〜」
・・・って、じゃあ、あたしは何なの?
て感じです。
でも単なるポーズではなく、やせなきゃとほんとうに思ってるスリムボディもいるわけです。
どちらにも共通する心の課題
太ってなくてもやせれば解決?
たぶん、そういう人は多くの場合、何かにとりつかれています。
いえ、霊とかそういうオカルトじゃなくて、思い込み? のようなもの。
何かの問題を抱えていて、その原因がどういうわけか「太っている」に通じてしまっている。不幸というほどではないにしろ、何となく満たされない原因を体型に、無意識のうちに繋げてしまっている。
特に女性の場合、キレイになれば幸せになれる、みたいな図式が世の中に蔓延しています。真に受けるかどうかは別として、いろいろなメディア、チャンネルで、繰り返し刷り込まれる状況がある。
プラス、どことなく満たされない原因がよくわからない、、、。
こちらもまた、繰り返し需要を刺激するメディアの影響があると私は思いますが、長くなりそうなので今は脇においておきます。
ともかく、ぼんやりとした不満が、やせれば解決という鉄板図式に乗っかってしまう、ということが、けっこうあるように思うのです。
太った人の脂肪はどこから?
一方、ほんとに脂肪がついてるポッチャりさんの場合はどうでしょう?
さっきの場合とは別に、こちらはたぶん、ほんとうに食べ過ぎちゃってる。体質により多寡はあるでしょうが、実際に太っているわけですから。
ですが、置かれている状況はとりつかれてる人たちと同じです。
キレイになれば幸せになれる、やせれば解決、なんとなく満たされない、そういう状況下にあることには変わりがないので、受けているプレッシャー、ストレスも同じ。
ぽっちゃりさんはそのストレスを、食べることによって晴らしていて、それで太ってしまった・・・。
ところが、このようなストレスの根本は、いくら食べ物を食べても消し去ることはできません。
このブログではすでに何度か書いていますが、心を満たそうとしてお腹を満たしても、決して安らぎは訪れない。余分な脂肪が実際についてしまい、問題がこじれていきます。
急がば回れのウォーキングダイエット
ダイエットを阻む心の課題
太ってない人も太っている人も、痩せなきゃと思っている人の心の奥底にはストレスがある、と思うんです。
このことに気づかないまま「やせれば幸せになれる」の図式に乗ってダイエットを始めると、やり始めこそ新鮮さがあるかも知れませんが、結局は食事制限や運動などのストレスを余分に背負い込むことになり、心がパンクしてしまいます。
そこまでいかなくてもダイエットが続かなくなる。
一方で「やせれば幸せ」、他方では「食べればシアワセ」。この相反する情報のはざまで右往左往し、じわじわと心が疲労してく。
満たされない、寂しい。
そこでまた食べ物に癒しを求め、あるいはダイエットなりに活路を見いだす。
ちょっと極端に描きすぎていますが、ざっくり言えばアリ地獄みたいな状況に置かれていると言えなくもない。
ウォーキングの内省効果
ダイエット方法がいろいろあるなかで、私がウォーキングをお勧めしたいと感じる理由は、このあたりの状況にあります。
歩くことを続けていると、頭が自由になるんです。
ひとつは、歩行のリズムが思考を刺激するということ。血流や、景色からの刺激が、強すぎない刺激を脳に与えてくれ、記憶や思考がいろいろと浮かんでは消えて行きます。
要するに、意図しなくても自分と対話するような状況になる。
ほかの運動ダイエットと違って、ウォーキングは集中を必要としないことも都合がいいです。
それと、歩いている時間は情報から隔絶されます。
歩き慣れて、ウォーキングの楽しさが味わえる心の状態になると、それまでいかに自分が情報漬けであったか、実感すると思います。その情報は、煎じ詰めればさきほどのアリ地獄に繋がってしまうものもたくさん含まれているのです。
だから、せっかくウォーキングをしている間は、間違ってもスマホいじりとかしないほうがいいです。
実際危ないですし。
飢えと渇き
もちろん、修行僧のように完全に情報を断ち切る生活をお勧めしているわけではありません。現代人として消費生活を楽しむことはあっていいと思う。
ただ、そこから解放され、自由になる時間を持つことは、バランスをとるためにきっと必要なことだと思うのです。
ウォーキングを習慣にして、情報のアリ地獄から逃れる聖域を自分の暮らしの中に確保すると、ストレスへの許容量も増えてきます。何より情報に右往左往しなくなる。
あれをしなきゃ遅れちゃう、これもやらなきゃ不幸、みたいな飢えた状態から解放される道筋が見えてきます。
そうです。実は情報こそが、飢えや渇きをもたらす源なんです。
心の中にも、お腹の中にも。
多分。
ほんとうの体型、ほんとうの人生
禅宗のなかには、歩く瞑想法があるそうです。経行(きんひん)と言うらしい。
詳しくは知りませんが、おそらく歩く所作に集中することで、余分な考えから自由になるというものかな、と予想しています。
少なくとも、歩くことには瞑想効果もあることがわかります。
ウォーキングで日常的な情報世界から飛び出して、雑念の覆いを外した自分の存在を感じられるようになれば、飢えと渇きへの耐性も上がってきます。
心の飢え・渇きという意味でもそうですが、実際の空腹感への耐久力も上がります。
私が「ややペコ」状態に慣れることができ、事実上の食事制限を続けて体重を順調に減らしてこられたのは、このことが大きかったと思う。
もしウォーキングに興味がおありでしたら、ぜひ試してみてください。やり方はあちこちに書いてありますし、このブログでも自己流ですが記事にしています。
ご自身のほんとうの体型と、ほんとうの人生に出会えますように(・∀・)ノシ
書いてるうちに話がでかくなってしまいましたね、、、
スポンサーリンク
早起きウォーキングダイエット・今朝の記録
起床は4:27。
朝一体重は71.6kg。
今朝は歩数を計り忘れ。コースから考えて、多分12000歩くらい。
コメント