起きたって、どうせいいこと無いもんな、、、を救った意外なこと

起きたって、どうせいいことなんか無いもんな ウォーキング

今日は前々から書いてみたいな、と思っていたことにチャレンジします。
こんな記事の需要があるか無いか、わかりません。多くの方にとっては関係ないかも・・・でも必要なかたがいたら、ぜひともお伝えしたい、そんなことです。

Echoes
Echoes / Cpt

こんな人向け 問題を抱えてどん詰まり感。起きるも億劫で、自分を支えるだけでも精一杯。
伝えたいこと 身体を使うと、斜め上の力が降りてくる。

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早起き=テンション高め?

私はこのところほぼ毎朝、4時半に起きています。
早起きだと言いきっていい起床時間、ですよね?
で、こんな早起きの人に対して世の中はどんなイメージを抱くでしょう?

むっちゃテンション高い人!

じゃないでしょうか。
ガバッと起きてすぐ活動。血圧も体温も高めな多血系。

逆に朝寝坊さんは、血圧低めな憂鬱系。
目が覚めても、すぐには動けない。
布団を出るまでの時間がやたらに長く、出た後もベッドにぼんやり座ったきり・・・
「アンニュイ」なんて言葉もありました。

で、自他ともに認める早起きな自分ですが、この多血か憂鬱かで言えば間違いなく憂鬱系だろう、と思っています。

意外?

血圧、体温とも低めだっていうのもありますが、今回の記事のタイトルの通り

「起きたって、いいことなんて無いもんなぁ・・・」

って思ってた時期が、けっこう長かったし、今もそういうところがあります。

鬱っぽかった暗黒時代

たいていの人にとって、人生は常に順風というわけにはいきません。いいときはいいですが、巨大なハードルを突きつけられることもある。

案外、心の底で恐れている問題に限って、現実として襲って来たりするものです。
もしかすると、それが自分の人生課題だと知っているから、心の底で恐れているのかも知れない。恐いのは、解決の難しさ・問題の大きさを知っているからで、そういう人だからこそよく解決できる素質がある、とも言えそうです。

とは言うものの、そんな宿命的な課題に直面すると、まずたいていは頭を抱えてしまいます。

「こんなの解決できるはずない」
「自分には無理だ、逃げ出したい」

でも、本当に必要な人生課題というものは、逃げてもたいてい追いかけてくる。
それでも逃げ続けていると、行き詰まる。
行き詰まると、気鬱になります。

・・・抽象的ですみませんね。
今の私にはまだ具体的に書く勇気がないのですが、私はこういう時期がけっこう長かった。

行き詰まってしまい、毎朝起きるのが億劫で、いつまでも布団の中でもぞもぞ。
起きたってどうせ問題を避け、自分をごまかすことしかできない。
朝が来るのが嫌、起きるのが怖い。

他方、夜は夜で怖かった。
日中ゴロゴロ&うとうとしていますから、夜になってもよく眠れるわけがない。
不安に抗いながら孤独と不眠にさいなまれ、精神的に疲れきった明け方になってようやく浅い眠りに陥る。

要するに、昼も夜も、その境が曖昧な世界にまどろみながら生きていた。
心はいっぱいいっぱい。

少なくとも自分の身辺では心療内科が今ほど身近ではなかったため受診こそしませんでしたが、診てもらったらきっと薬を処方されただろうと思います。

ウォーキング依存症

そんな日々を繰り返していると、どうにも不安でたまらず、胸が押しつぶされそうになることがしばしばある。そういう時はいてもたってもいられない。家の外に押し出され、あてもなく街をふらつくことになります。
実はこれが私のウォーキング・ライフの始まりなんです。

よくウォーキングには癒し効果がある、と言いますよね。
でも当時はそんなことを考えてはいませんでした。じっとしていると不安だったので、ただ歩きに出た。
歩き出すと、今度は立ち止まるのが怖くなる。それで延々と歩き続けることになる。

こういうのって、現実を避けてゲームに逃げ込んじゃうのと、ほぼ同じ感覚かも知れないと思います。いわゆるゲーム中毒・ゲーム依存症。私のは散歩中毒、ウォーキング依存症。そんな感じで、全く健康的なものではなかった。

ウォーキングで問題解消?

癒される、と言うと、傷ついたものが修復される、というイメージですよね。病気だったら治る。
でも、私の場合はどんなに歩いたって、問題が消え去ることは無い。解決されるはずもない。

それでも歩かずにはいられない。
お酒でごまかすように、歩いてごまかす。
まさに中毒です。

ところが、ですよ。
散歩依存症は、アルコールのそれとは違って、身体を元気にしてくれる効果があった。
問題は解決してはくれないし、心も癒してはくれないのですが、身体から力を引き出してくれた。

散歩で得られる心の癒しは、せいぜい気分転換くらいものもです。ちょっとした一過性のものに過ぎない。ところが身体的な影響のほうは、代謝がよくなり体温が上がるなど、かなり具体的で力強い。それが間接的な形で心にも力をもたらしてくれます。

考えてみるとわかりますが、沈鬱な気分のなかで昼も夜も布団にくるまっているような状況。心の痛みばかりに意識が向いてましたが、生活リズム・食生活、全てがなし崩しになる中で、身体のほうもかなり弱っていた。
もし今現在大きな課題に直面し、この時の私と似たような状態で暮らしている方がおられたら、ぜひお伝えしたいです。

心も傷ついていますが、身体も傷ついていますよ、と。

思考の壁の向こう側

「だから何だ? どうせ自分は駄目なんだ、いまさら健康とかどうでもいい」
と、思う方もおられるでしょう。

ほかならぬ、かつての私自身がそう思ってました。

というのも、こんな行き詰まりのどん底にいる時には、多少ともあちらの世界への憧れがちらつくのです。そんな時は、意識するしないの別はあるけど、自ら健康を損ねようとする衝動に蝕まれる。
「起きたっていいことない」は、次の言葉につながっているのです。

「生きていたって、しょうがない」

根底にあるのは、自分には問題を解決できないという「考え」です。
考えは、頭の中で生起するもの。
理屈で考え、合理的に捉え、どうせ駄目だ、と結論する。
どうせ駄目だから何も行動しない。行動しなければさらに行き詰まり、やがては死を迎える。多くの健全な思考と同じく、どうせ駄目だという思考もまた、次第次第に現実として具現化しようとします。

確かに、歩いて問題が解決することはないです。
その点では「考え」の通り。全てが考えの通りなのであれば、破滅しかないように思うのも仕方がありません。

ところが、「考え」が及ばない場所もある。

それが、身体

解決を求めず、問題とつきあう

思考というのは、性急なものです。
すぐに答えを探し出そうとする。
そして答えが出なければ、これまたすぐに「駄目だ」と結論してしまう。

身体はそうではありません。
身体は判断しない。正解も不正解もない。
ただ、元気か否か。

身体が元気で、かつ、身体に十分な価値を見い出すと、性急な思考が相対化されます。
そのココロはこうです。

今はわからないけど、じきにわかるかも

これに対して、身体の価値を忘れ、思考の窓からだけ物事を見る人のココロは先ほどの、

「わからない。だからもう駄目だ」

です。

私は後者のような状態を、首から上だけで生きている状態、と言っています。

本当は首から下の、大きさで言えば何倍もの身体があるのにも関わらず、全てを首から上、つまり頭だけで取り扱おうとしている状態。
首から上には思考力があるけれど、生きる力は無い。生命を支えているのは心臓であり、胃腸であり、肺であり、その他もろもろの、首から下の器官です。

そして、「もうお手上げだ」と頭が降参しても、これらの生命器官はおかまいなしに活動を続けます。そうすることで、弱音を吐き続ける思考に、時間を与え、もっと考えるよう促す。

以前は答えがわからなかったことも、今ならわかる、ということって、たくさんありますよね。
だから、今は駄目だと思っても、それで諦めることはない。
鬱にとらわれたりせずに、むしろそんな時こそ身体を大切にし、生を養うことに集中する。私の場合は結果的にですが、散歩がこの役割を果たすことになりました。

しつこいようですが、歩くことは問題を解決してはくれません。
ただ、問題を抱えながら生きる力をもたらしてくれる。
ま、歩くことに限りませんが、養生の価値のひとつは、こんなところにある。

大きな課題は、すぐには解決できない。
ということは、その問題を抱え続け、逃げ出さずにつきあえる力が必要ということ。
自分にとって早起きウォーキングは間違いなく、そういう力を得るためのバッテリーになっています。

これって、やっぱりまだ散歩依存症なのかな、、、。

試しに歩いてみようかな、、、と思った方は、歩くときの準備についても少し書きましたのでご覧ください。

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起床は4:30
朝一体重は74.4kg
ここまでの歩数が11498歩

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